人生の信用

2008年4月14日


 

 信用、信頼、他人から信じてもらう事は大変だ。何より、信用を裏切った行為を回復することは大変な事だ。再び信用を取り戻すことが出来ないかもしれないからだ。
 意識的に裏切るのであれば、どうしようもない。だが無意識に裏切ってしまうことは問題だ。たとえば、約束時間を守らない人は習慣的に守らない。つまり「あいつは時間にルーズだからな」と、時間に信用がなくなってしまう。
 個人的な遊びに時間的信用がない分には問題無いが、ビジネスではどうだろうか?待ち合わせ場所に、毎回遅れていくような社員は、安心して会社の看板を、預けられないはずである。このように人間では同期入社のライバルより給料が安いのは当然だ。少し角度を変えてみよう。
 独立して起業した個人が何もしないで収益が上がるはずが無い。信用を培って徐々に社員を増やし、企業の状態を大きくしていくのだ。そこには金融機関からの信用でお金を借りることなどが含まれる。
 今の政治を見てみよう。社保庁問題、国交省問題、防衛省問題、個人的にはすべての省庁に問題があると思っている。そこに政治家が権力により便乗して甘い汁を吸っているから「政治不信」が起こっている。だが、本当は「行政不信」なのではないだろうか?内閣は行政の長なのだ。その行政が既得権益に、しがみ付いているからたちが悪いのだ。こう考えると、いかに信用が大事か少しは見えてきたと思う。
 間違ってほしくないことは、疑いを持つことではない。当事者の行動から判断することだ。だが世の中には「一事が万事」との例えもある。日ごろの心がけがによっては、「所詮この人はこの程度」と思われてしまう。そう思われないように慎重な行動が求められている。だが、この信用が味方になると心強いものだ。見知らぬ他人が、多岐にわたり協力者となってくれるからだ。
 人によっては投資してくれるだろう。またある人は社員となって業務を助けてくれるだろう。また仕事を与えてくれる人もいるだろう。新たな顧客を紹介する人もいる。継続的なパートナーとなり、ビジネスの発展につながるだろう。
 実際に信用を培うことは大変なことだ。ひとつのことを、間違いなく行い、積み上げていくようにしなければ、信用されないだろう。人と合っている時だけではない。常に習慣的に身につくまで行って初めて信用されるのだ。けしてその時だけの、思いつきのような行動では、信用のメッキははがれてしまうだろう。